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横浜地方裁判所 昭和54年(ワ)2336号 判決 1985年1月31日

原告ら選定当事者

野田清

右選定者

野田玉枝

外四名

被告

宗教法人 天宗

右代表者

野村照子

被告

野村照子

被告

野村葉子

被告

野村高秋

右被告ら訴訟代理人

藤井暹

西川紀男

橋本正勝

太田真人

右訴訟復代理人

水沼宏

主文

一  被告宗教法人天宗は、主文第二項に掲げる限度で他の被告らと連帯して、原告選定者野田玉枝に対し金四二五万一五二四円、同野田孝徳、同佐々木博子、同近藤道子、同野田進及び原告ら選定当事者野田清に対しそれぞれ金一三六万〇六〇九円ずつと、右各金員に対する昭和五五年四月一八日から右各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告野村照子、同野村葉子及び同野村高秋は、いずれも被告宗教法人天宗と各連帯して、それぞれ原告選定者野田玉枝に対し金一四一万七一七四円、同野田孝徳、同佐々木博子、同近藤道子、同野田進及び原告ら選定当事者野田清に対し各金四五万三五三六円ずつと、右各金員に対する昭和五五年四月一八日から右各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告ら選定当事者のその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用はこれを一〇分し、その一を原告選定者ら及び原告ら選定当事者の連帯負担とし、その余を被告らの負担とする。

五  この判決は主文第一、二項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告宗教法人天宗は、次項に掲げる限度で他の被告らと連帯し、原告選定者野田玉枝に対し金五〇八万三五六三円、同野田孝徳、同佐々木博子、同近藤道子、同野田進及び原告ら選定当事者野田清に対しそれぞれ金一五五万四二二五円ずつ並びに右の各金員に対する昭和五五年四月一八日から各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告野村照子、同野村葉子、同野村高秋は、被告宗教法人天宗と連帯し、それぞれ原告選定者野田玉枝に対し金一六九万四五二一円、同野田孝徳、同佐々木博子、同近藤道子、同野田進及び原告ら選定当事者野田清に対し各金五一万八〇七五円並びに右の各金員に対する昭和五五年四月一八日から各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する被告らの答弁

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  本件医療事故に至るまでの経緯

(一) 訴外亡野田義男(以下亡義男という)は、昭和四七年八月二五日午後六時三〇分ころ、京浜急行黄金町駅下りホームにおいて、停車中の京浜川崎駅発逗子海岸駅行急行電車一八六二列車に乗車しようとした際、乗車しきれないうちに扉が閉まつたため、左手を右電車の扉にはさまれたが、そのまま右電車が発車したため転倒し、右ホームと電車との間を約二〇メートルにわたつて引きずられ(以下本件交通事故という)、その結果、左鎖骨骨折、胸部打撲、腰部打撲の各傷害を負つた。

そのため亡義男は、同日、被告宗教法人天宗(以下被告法人という)が経営する野村外科病院(以下野村病院という)に入院した。

(二) 亡義男の入院後、野村病院の院長であつた訴外亡野村良平医師(以下野村医師という)は、同病院勤務の医師であつた訴外宮原侑一(以下宮原医師という)とともに亡義男の治療に当たり、本件交通事故による外傷性ショック及び脳障害の対症療法としてステロイドホルモンの処方を決め、同人に対し、同ホルモンの合成剤であるオルガドロン剤の投与を始めた。

(三) 野村医師らは、亡義男に対し、昭和四七年八月二五日から同年九月一日まで、連日、一日当たり11.4ミリグラム(3.8ミリグラム入りアンプル三本)、合計91.2ミリグラムのオルガドロン剤を点滴静注して投与した。

(四) その後、亡義男は、昭和四七年九月一二日、急性胃潰瘍により、吐血するに至つた。

(五) これに対し、野村医師らは、昭和四七年九月一三日から同月一五日にかけて止血剤、血液凝固剤とともに前同様の方法でオルガドロン剤の投与を続け、三日間の投与量は合計五七ミリグラムに達した。

(六) 野村医師らは、右吐血後の亡義男に対する治療として輸液等を行つたが、輸血や潰瘍部の手術は行わなかつた。

(七) 亡義男は、昭和四七年九月一四日意識混濁、呼吸困難等の重篤症状を呈し、翌九月一五日午前一一時二二分死亡するに至つた。

2  亡義男の死因

亡義男の死因は急性胃潰瘍による失血死であるが、右胃潰瘍はオルガドロン剤の副作用によつて発症したものである。

3  野村医師らの過失

(一) オルガドロン剤の投与に当たつては、同剤の副作用である消化器潰瘍の発生に十分配慮し、その投与量を制限すべき診療上の注意義務があつたのに、野村医師らは右義務に違反し、亡義男に対し、前記のとおり昭和四七年八月二五日から同年九月一日にわたり合計91.2ミリグラム(3.8ミリグラム入りアンプルを連日三本ずつ)もの多量のオルガドロン剤を投与(以下第一期投与という)し、その結果、亡義男に同剤の副作用により急性胃潰瘍を発症させた。

(二) オルガドロン剤に胃潰瘍を急激に発症させる等の副作用のあることは当時の医学上一般に知られており、したがつて同剤を投与した後に吐血があれば通常その副作用としての胃潰瘍が発生したものと考えるべきであるから、野村医師らには、右吐血後は同剤の投与を中止すべき診療上の注意義務があつた。

しかるに、野村医師らは右義務に違反し、前記のとおり、亡義男の吐血後である昭和四七年九月一三日から同月一五日にかけて更にオルガドロン剤を投与(以下第二期投与という)し、亡義男の胃潰瘍を悪化させ、同人を死亡させるに至つた。

(三) 亡義男が吐血した後においては、野村医師らにはその治療として、同人に対し輸血をし、潰瘍部の手術を行うなどの医療上適切な処置を講ずべき診療上の注意義務があつたところ、野村医師らは右義務を怠つて右処置を講ぜず、亡義男を死亡するに至らしめた。

4  被告らの責任

(一) 野村医師は亡義男の診療に当たつた者であつて本件医療事故によつて生じた損害につき不法行為者として損害賠償の責任を負うべきところ、同医師は昭和五二年一〇月一七日死亡し、同医師の権利義務は、その妻被告野村照子が三分の一、子である被告野村葉子、同野村高秋がそれぞれ三分の一の各法定相続分に応じて相続した。

(二) 被告法人は野村医師らの使用者であつたところ、本件医療事故は右野村医師が被告法人の経営する野村病院の業務に従事中に惹起したものである。よつて、被告法人は民法七一五条に基づき本件医療事故により生じた後記損害を賠償すべき義務がある。

5  損害

(一) 亡義男の損害

(1) 逸失利益 金五六五万六六八九円

(ア) 亡義男は本件医療事故当時、訴外品川塗装株式会社に勤務し、毎月金一〇万五二二五円の給与及び毎年少くとも右給与の5.03箇月分のボーナスを得、年収は金一七九万一九八一円であつた。

(イ) 亡義男は生活費として毎年金一〇八万円(年収の60.26パーセント)を支出していたからこれを控除すると年間の逸失利益は金七一万一九八一円である。

(ウ) 亡義男は死亡当時五五才であつたから、その就労可能年数は自動車損害賠償保障事業損害査定基準(昭和四五年一〇月一日改訂版による)により9.3年と認められる。

(エ) そこで、年五分の割合による中間利息をホフマン方式により控除して亡義男の死亡による逸失利益を求めると、その額は金五六五万六六八九円となる。

(2) 相続

亡義男の相続人は、妻である原告選定者野田玉枝(以下選定者玉枝という)と、子である原告選定者野田孝徳(以下選定者孝徳という)、同佐々木博子(以下選定者博子という)、同近藤道子(以下選定者道子という)、同野田進(以下選定者進という)及び原告ら選定当事者野田清(以下選定当事者清という)の六名である。

よつて右(1)の損害賠償債権は法定相続分に応じ、選定者玉枝が三分の一の金一八八万五五六三円、同孝徳、同博子、同道子、同進及び選定当事者清が各一五分の二の各金七五万四二二五円を、それぞれ相続した。

(二) 選定者ら及び選定当事者清の慰藉料 合計金五〇〇万円

選定者ら及び選定当事者清は、夫又は父である亡義男を本件医療事故で失い、甚大な精神的打撃を受けたが、これを慰藉するには、妻である選定者玉枝について金一〇〇万円、子である同孝徳、同博子、同道子、同進及び選定当事者清について各金八〇万円が相当である。

(三) 選定者玉枝の損害

(1) 葬儀費用 金一一九万八〇〇〇円

選定者玉枝は亡義男の葬儀を執り行い、その費用として、会食費金二五万円、葬祭料金三五万円、手伝い謝金九万八〇〇〇円、墓石代金五〇万円、合計金一一九万八〇〇〇円を支出した。

(2) 弁護士費用 金一〇〇万円

選定者ら及び選定当事者清は当該選定前において、原告として本件訴訟の提起・追行を原告ら訴訟代理人福田喜東に委任したが、選定者玉枝はその報酬として右訴訟代理人に対し、本件訴訟提起と同時に金五〇万円を支払い、勝訴判決を得た時は残金五〇万円を支払う旨約した(なお、本件訴訟追行中に右訴訟代理人は死亡したが、残金五〇万円支払に関する右合意はかかる事実に左右されないものとしてなされたものである)。

(四) よつて、選定者ら及び選定当事者清は、不法行為(民法七一五条)に基づいて、被告法人に対し、選定者玉枝において金五〇八万三五六三円、同孝徳、同博子、同道子、同進及び選定当事者清において各金一五五万四二二五円とこれらに対する不法行為の日以後であることの明らかな昭和五五年四月一八日から各完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める一方、同じく不法行為(民法七〇九条)に基づいて被告野村照子、同野村葉子、同野村高秋のそれぞれに対し、被告法人と連帯のうえ、選定者玉枝において金一六九万四五二一円、同孝徳、同博子、同道子、同進及び選定当事者清において各金五一万八〇七五円とこれらに対する昭和五五年四月一八日から各完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否及び被告らの主張

1  請求原因1(一)ないし(七)の事実(本件医療事故に至るまでの経緯)はいずれも認める。

2  同2の事実(亡義男の死因)は否認する。亡義男の急性胃潰瘍はオルガドロン剤の副作用によつて発症したものではない。すなわち、

(一) ステロイド治療で潰瘍を発生しやすい場合として、(1)三〇日以上にわたる投与、(2)オルガドロン換算で一五〇ミリグラムを越える投与、(3)以前から潰瘍のある患者への投与があげられているが、本件における第一期投与はオルガドロン剤の投与期間、投与量とも右基準をはるかに下回り、また亡義男には胃潰瘍の現症、既往症はなかつた。

(二) 本件交通事故の態様、亡義男の受傷部位、程度等からして、亡義男は外傷性ショックに陥り、ストレスがあつたことは明らかであり、亡義男の胃潰瘍はこのストレスによつて生じたものである。

3(一)  請求原因3(一)(第一期オルガドロン剤投与についての義務違反)の主張は争う。野村病院において投与したオルガドロン剤の量は、頭部外傷例に対する副腎皮質ホルモンの一般的投与方法における軽傷頭部外傷例のそれとほぼ同量にすぎず、多量投与というものではない。

(二)  同3(二)(第二期オルガドロン剤投与についての義務違反)の主張は争う。野村医師らが九月一二日からオルガドロン剤の投与を再開したのは、同剤の投与が止血に対して有効だからであり、同剤の投与についてこれを避止すべき義務はない。

(三)  同3(三)(輸血及び手術施行をなすべき義務の違反)の主張は争う。すなわち、

(1) 一般に、四〇〇ないし五〇〇ミリリットルの出血に対しては、肝炎その他各種の障害発生の危険を考慮して輸血を行わず輸液で補つているのが通例であり、野村医師らは右理解に沿つて行動したものである。また、九月一五日午前九時ころの亡義男の急激な状態悪化に際しては、輸血をなす時間的余裕はなかつた。

(2) また手術を行つてない旨主張するが、吐血があつたからといつて、その出血部位、原因を確かめないで直ちに手術をすることはできないところ、前記のようなオルガドロン剤の投与量からしてステロイドホルモンの副作用による胃潰瘍は考えられないので、出血部位を胃と即断することは期待できず、また、出血部位を確認するためエックス線その他の検査を行えば出血部位を刺激して出血を増悪させ、又は止血しかけたところを再発させるおそれがあつたので出血部位の確認も困難であり、手術を行うことは不可能であつた。

4(一)  同4(一)の事実(被告野村照子らの相続)は認める。

(二)  同4(二)の事実は認める。但し、被告法人が民法七一五条の責任を負うとの主張は争う。

5(一)  同5(一)(1)の事実(亡義男の損害)中、亡義男が死亡当時五五才であつたとの点を否認し、その余は不知。

同5(一)(2)の事実(原告らの相続)は不知。

(二)  同5(二)(慰藉料)については争う。

(三)  同5(三)(1)(2)の各事実(葬儀費用、弁護士費用)は不知。

第三  証拠<省略>

理由

一請求原因1の各事実(本件医療事故に至るまでの経緯)はいずれも当事者間に争いがない。

二亡義男の死因について

<証拠>並びに右争いのない事実によれば、亡義男は、昭和四七年九月一二日午後九時ころ、胃部に生じた急性の多発性潰瘍部から出血して吐血し、その後胃潰瘍部の亀裂による大量の出血を反復したため同月一五日午前一一時二二分に、失血を原因として死亡したものであることが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

三1  そこでまず、亡義男の右急性の多発性胃潰瘍の発生とオルガドロン剤の第一期投与との原因関係について検討する。

<証拠>によれば、(1)医学上一般に、オルガドロン剤の主成分であるステロイドホルモン剤の投与によつて主として胃次いで十二指腸に急性の出血性潰瘍病変(以下ステロイド潰瘍という)が発生することがあるといわれていること、(2)ステロイド潰瘍は通常の消化性潰瘍に比し、突然の吐血をもつて発現することが特徴的であることが認められるところ、前記争いのない事実及び<証拠>によれば、亡義男は昭和四七年八月二五日から同年九月一日まで連日一日当たり11.4ミリグラム(3.8ミリグラム入りアンプル三本)合計91.2ミリグラムのオルガドロン剤の投与を受けた後、同年八月二八日施行された左鎖骨骨折観血手術の術後の経過は良好であつたが、同年九月一二日午後九時及び同一〇時ころ胃潰瘍部からの出血により突然吐血したことが認められ、右各認定事実をもつてすると、亡義男の罹患した急性胃潰瘍はオルガドロン剤の第一期投与による副作用によつて発症したものと推認できないでもない。

しかしながら、他方、<証拠>によれば、ステロイドホルモン剤の投与と急性胃潰瘍との因果関係は、同剤の投与量、投与期間及び投与を受ける患者の一般的及び特異的な背景、条件等の諸要因をも考慮して判定すべきであり、医学文献上では、特に潰瘍を発生しやすい一般的基準として、(1)三〇日以上にわたる投与、(2)オルガドロン換算で計一五〇ミリグラム(プレドニゾロン換算で計一〇〇〇ミリグラム)を越える投与、(3)以前から潰瘍のある患者への投与が指摘されているところ、本件においては、前記のとおり、亡義男の吐血までの投与量は合計で91.2ミリグラムであり、また投与期間も八月二五日から九月一日までの八日間であつていずれも右基準値を相当に下回り、かつ、<証拠>によれば、亡義男に胃潰瘍の既応歴はなかつたことが認められ、他に亡義男においてステロイド剤の投与により潰瘍が誘発されることを考慮すべき特別な事情があつたものと認めるに足りる証拠は見当たらない。

また、<証拠>によれば、医学上一般に外傷、ショックなどの身体的あるいは精神的刺激によつて胃、十二指腸粘膜にしばしば急性潰瘍性病変(これをストレス潰瘍という)が発生することが知られているところ、前記争いのない事実及び<証拠>によれば、亡義男は左鎖骨骨折、胸部腰部打撲、左側頭部打撲などの外傷を負い、左鎖骨骨折の手術及びその後の胸部絆創膏固定を施されていたことが認められ、これらの要因によつてストレス潰瘍を来たした可能性を一概に否定し去ることもできない。更に、本件では第一期投与完了後一〇日以上を経過した九月一二日の夜半にいたつてはじめて吐血が生じているところ、鑑定の結果に照らすとこのような場合に潰瘍が主としてオルガドロン剤の副作用によつて発生したと断ずるには疑問があるといわざるを得ない。

<証拠>中右認定に反する部分はいずれもにわかに採用できないし、他に亡義男に生じた胃潰瘍が、オルガドロン剤投与によつて生じたものと認めるに足りる証拠はない。

以上の点を総合勘案すると、オルガドロン剤の第一期投与をもつて、亡義男に生じた胃部の急性潰瘍の原因と断ずるにはこれを認めるに足りる十分な証拠がなく野村医師らにおいて、消化器潰瘍の発生を予見して右投与を避けるべき注意義務があつたものとは認められないものというのほかなく、その投与の適否について判断するまでもなく、右投与をもつて被告らの責任を問うことはできないというべきである。

2  次に、オルガドロン剤の第二期投与について検討する。

前記争いのない事実及び<証拠>によれば、野村医師らは、亡義男の吐血後も九月一三日中に二回、九月一四日中に二回、九月一五日中に一回の五回にわたり計五七ミリグラム(いずれも一回11.4ミリグラム)のオルガドロン剤を投与(第二期投与)した事実を認めることができる。

オルガドロン剤には胃潰瘍を急激に発症させるという副作用のあることが医学上一般に知られていることはすでに判示したとおりであり、しかも、前掲<証拠>及び弁論の全趣旨によれば、オルガドロン剤には、潜在性病変の悪化、既存の潰瘍の悪化を生ずる副作用があるものとされて、これらの素因のある場合はその投与は禁忌とされているものと認められるところ、前掲<証拠>によると、吐血を生じた場合の原因としては他に特段の原因が明らかになつていない限り、胃潰瘍によるものと考えるのが最も一般的であると認められ、亡義男には、第一期投与により、一般的基準値を下回るものではあるが相当量のオルガドロン剤が投与されており、それ自体において、あるいは他の要因と相まつて消化器、とりわけ胃部に潰瘍を生じたことは十分考え得る状況にあつたのであるから、右のような事情を考慮してもなお、オルガドロン剤の投与を必要とするような特別の事情がないかぎり、野村医師らには、亡義男に対し更にオルガドロン剤を投与してはならない注意義務があつたものというべきである。

ところで、成立に争いのない甲第六号証及び鑑定証人北浩之の証言中には、吐血後のオルガドロン剤の投与は亡義男のショック状態を改善するためになされたもので、かつ、オルガドロン剤はショックに対して有効であるから、右投与に誤りはない旨の記述、供述があり、また、成立に争いのない乙第一〇号証中にもステロイドがショック状態の改善に有効とする旨の記述がある。しかしながら、前判示のとおり、亡義男に胃部の潰瘍の発生が考えられ、オルガドロン剤の投与による潰瘍の増悪が考えられる以上、その危険を考慮してもなお、オルガドロン剤の投与を必要とする事情の存在する必要があるところ、証拠を検討しても、そのような事情が存在したものと認めることはできないし、野村医師らにおいて、右のような事情の存否について十分検討した上でオルガドロン剤を投与したものと認めることもできない。

そして、既に判示した亡義男の死亡原因、すなわち亡義男は昭和四七年九月一二日午後九時ころ吐血(乙第二号証によると嘔吐の中に吐血があつた)し、その後胃潰瘍部からの出血を反復し、同月一五日午前死亡するに至つた事実に、<証拠>によると、亡義男の胃部には、前後壁にびらん性帯状、亀裂状を呈する多数の潰瘍が生じていたと認められる事実並びにオルガドロン剤が消化器潰瘍に与えるとされている前示影響を総合勘案すると、同月一三日以後に、亡義男に投与されたオルガドロン剤が、亡義男の胃部に生じた潰瘍の増悪に原因をなしたものと推認することができる。

3  最後に、潰瘍からの出血に対する処置について検討する。

亡義男の死亡の原因が、潰瘍部からの出血によるものであることは前判示のとおりであり、前掲<証拠>によると右出血は十二指腸、小腸、大腸等腹腔内に多量の血液を貯溜する多量の失血を生ぜしめるものであつたことが認められ、前記争いのない事実及び前掲<証拠>によると九月一二日午後九時に生じた吐血から同月一五日午前一一時二二分の死亡までの経過は次のように認められる。

時(ころ)

症状

血圧

九月一二日

午後九時

嘔吐の中に吐血

一〇〇ないし七〇

午後一〇時

吐血

九月一三日

午前八時

一三〇ないし一〇〇

九月一四日

吐血なし

頸部痛あり

午後八時

意識昏迷

八四ないし六〇

呼吸浅い

脈拍弱い

九〇ないし六二

午後一〇時二〇分

一〇〇ないし五〇

九月一五日

午前一時

一一八ないし六〇

午前二時三〇分

一〇八ないし五〇

午前六時三〇分

一〇〇ないし五〇

午前八時一五分

一二〇ないし六〇

午前九時

重態

午前一一時

肺気腫

午前一一時二二分

死亡

以上の事実に<証拠>を総合すると、亡義男の吐血後において、野村医師らは、亡義男について、出血原因及び出血量について把握する処置を試み、これに基づいて適確な保存的止血操作並びに輸血の処置を講ずべきであつたというべきであるところ、本件に現れた全証拠、特に診療関係の記録である乙第一ないし第七号証、別事件における野村医師の証人尋問調書である甲第六号証(以上、いずれも成立に争いがない)を検討しても、亡義男の吐血後において、血圧を測定し記録されているほかには出血原因及び出血量の把握について特段の試みがなされたものとは認められない。したがつて、これらの把握に基づいて保存的止血操作及び輸血の処置について検討されることもなく、一日量一〇〇〇ないし一五〇〇ミリグラムの輸液と止血剤、血液凝固剤の投与に終止したにすぎなかつたものと認められる。

前掲甲第六号証、証人北浩之の証言中には、輸血の処置について、血清肝炎を生ずるおそれがあることを考慮してこれをとらなかつた旨の供述記載及び供述があるが、その必要性を判断するための前提となる出血原因、出血量の把握が適切でないと認められる以上、右判断をもつて、輸血の処置をとらなかつたことを正当とすることはできない。

してみると、野村医師らには、吐血後の亡義男に対する医療処置において、止血並びに輸血の処置についてこれを怠つた過失があつたものというべく、亡義男の吐血から死亡に至るまでの前示経過並びに死亡の原因に照らすと、右過失をもつて亡義男の死亡につき、その原因をなしているということができる。

なお、胃潰瘍部の手術の適否については、これをなすべきであるとする前掲甲第二号証もあるが、成立に争いのない乙第一五号証及び鑑定証人北浩之の証言によれば、手術をするためには手術部位を確認する必要があり、このためX線検査をしなければならないが、X線検査の際に使用するバリウムが刺激となつて再度出血をするおそれのあること、手術部位を確認する方法としてはX線検査以外に他に適当な手段のないこと、一般に大量出血後三日間は絶対安静にし、黒便が通常便に戻るまで手術部位を確認するためのX線検査をひかえた方が安全であることが認められ、右事実に照らすと手術を施行すべきであると即断することはできないというべきであるからこの点に過失を求めることはできない。

4  以上のとおりであるから、亡義男の死亡につき、野村医師は過失による不法行為責任を、被告法人はその代表者である野村医師及びその使用人である宮原医師(野村医師が被告法人の代表者として、宮原医師が野村病院勤務の医師として亡義男の治療に当たつた事実は当事者間に争いがない)の不法行為上の責任の帰属者(民法四四条、七一五条)として、よつて生じた損害を賠償する責任があるというべきである。

なお、野村医師が昭和五二年一〇月一七日死亡し、被告野村照子、同野村葉子及び同野村高秋が各三分の一の割合で野村医師の権利義務を相続したことは当事者間に争いがない。

四損害

1  亡義男の損害

(一)  逸失利益

<証拠>を総合すると、亡義男は大正六年九月一〇日生れ(死亡当時満五五才)で、本件医療事故当時品川塗装株式会社に勤務し、死亡前の過去一年間に一三五万八一〇〇円の収入を得て一家の生計を支えていたことが認められるから、生活費の控除割合を三割、就労可能年数を満六七才までの一二年間として、死亡による逸失利益の原価を新ホフマン係数により計算するとその合計は六四五万四五七三円となる。但し、前掲甲第四号証によれば、前記品川塗装株式会社の定年は満六〇才であることが認められるから(他にこれに反する証拠はない)、定年後の七年間は前記年収の二分の一の年収をあげるものとして計算する。

(計算式)

1,358,100×(1−0.3)×4.364+1,358,100÷2×(1−0.3)×(9.215−4.364)=6,454,573  (端数切捨て)

(二)  相続

<証拠>によれば、選定者玉枝は亡義男の妻、同孝徳、同博子、同道子、同進、選定当事者清は亡義男の子であること、右選定者ら及び選定当事者清以外に亡義男の相続人がいないことがそれぞれ認められるから、右(一)の逸失利益を、選定者玉枝はその三分の一である金二一五万一五二四円(円未満端数切捨て、以下同じ)、他の選定者ら及び選定当事者清はそれぞれその一五分の二である金八六万〇六〇九円ずつを相続により取得したというべきである。

2  慰藉料

<証拠>によれば、選定者ら及び選定当事者清は、亡義男を本件医療事故で失い、妻として、あるいは子として精神的な苦痛を受けていることが認められ、これを慰藉するには、選定者玉枝について金一〇〇万円、他の選定者ら及び選定当事者清について各金五〇万円が相当である。

3  選定者玉枝の損害

(一)  葬儀費用

<証拠>によれば、選定者玉枝は亡義男の葬儀を執り行い、その費用として会食費、葬祭料、手伝い謝金、墓石代金等の支出をしていることが認められるが(他に反する証拠はない)、葬儀費用は一括して金六〇万円とするのが相当である。

(二)  弁護士費用

選定者らが原告として本件訴訟の提起追行を弁護士福田喜東に委任し、同弁護士によつて本件訴えが提起され遂行されたことは訴訟上明らかであり、選定者玉枝がその報酬(着手金)を支払い、かつ支払の約束をしたことは容易に推認できるところであるが、本件訴訟の難易、認容額等諸般の事情を考慮するならば、本件において被告らに負担させるべき弁護士費用の額は金五〇万円とするのが相当である。

五以上の次第で、被告法人は、選定者玉枝に対し金四二五万一五二四円、同孝徳、同博子、同道子、同進、選定当事者清のそれぞれに対し各金一三六万〇六〇九円とこれに対する不法行為の日の後であることの明らかな昭和五五年四月一八日から各支払済まで年五分の割合による遅延損害金の支払義務があり、また被告野村照子、同野村葉子、同野村高秋のそれぞれは被告法人と連帯のうえ、選定者玉枝に対し金一四一万七一七四円、同孝徳、同博子、同道子、同進、選定当事者清に対し各金四五万三五三六円と右各金員に対する右同日から各支払済まで年五分の割合による遅延損害金の支払義務とが認められる。

よつて原告ら選定当事者の本件請求は右の限度において理由があるのでこれを一部認容し、その余は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九三条一項本文、九二条、八九条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(川上正俊 上原裕之 荒木弘之)

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